二人の旅路              逢坂総司  結局のところ、人というのは自分のために生きている。  それが種族的な欲求であるとか、個体としての欲求であるとかは、全て自分のためというところに帰結する。  その欲求は、大抵は簡単でわかりやすく、矛盾を生みやすい人間というものの中では行動原理の一つである。  その貪欲さは、地球上で始めて誕生した生物──彼らは単細胞生物だった──から見ても群を抜く。地球上で「種」の優勢を得るにはやはり、並はずれた貪欲さが必要であったようだ。  人が地球上で優位を得るに至ったのは、その貪欲さ故であった。  過去の遺物、ないし架空の生物と思われていた彼らが、この地球上に具現化し、その貪欲さをもって地球の覇権を得ようとするのは至極当然のことだといえる。  人の貪欲さが上回るか、彼らの貪欲さが上回るか、それは神のみぞ知ると言うところか。 *     *     *  この二人が「丈夫で整備いらず」の代名詞を持つ日本製の自動車に乗り、ヨーロッパを巡っているのはただ単に欲求を満たすためである。  そしてまず、最初にドイツ南部の地に来た人は緑色のイメージを叩きつけられる。畑と、森である。  一見するとただ広大なだけの大地の上に、人々は畑を作り、風の強いところには風車を立てる。風力発電と農業を利用して自給自足に近い形をドイツでは十何年も前から行っている。その畑を抜けていくと、人の手がほとんど入っていない森が広がっている。 「この深い森が、第二次世界大戦でドイツの雷撃戦を助けた……」  助手席で端末を車載CD代わりに使っていた彼女は、端末から流れる情報を読み上げた。 「そんなどうでも良いこと聞いたって仕方ないし……。それよりも、今夜の宿は?」  運転しながら、目的地を聞いた。片手ハンドルでろくに前も向かない相棒に、彼女は肩を竦めた。 「ジーナ、とりあえず目的の宿には予約入れてあるし、ゆっくり走っても文句は言われないはずだけど?」  乱暴な運転に寿命が縮められそうになりながら、そう返した。 「エレニア、私は早くビールを飲みたい」  運転しながら、ジーナと呼ばれた見た目二十歳の女性はそんなことを言った。黒髪に黒い瞳。だが、サングラスを掛けていて、瞳の色など見えはしない。 「まったく……、ドイツがビールのおいしいところとは言っても、慌てる必要なんてどこにもないんだから……」  今にも立ち止まってビールを飲みたいと言いそうな相棒を走らせるようにしむけつつ、エレニアは手入れを怠ったことのない髪に手を当てた。窓の隙間から入る風が、エレニアとジーナの髪を揺らす。対向車がいないうちは、落ち着いて座っていられそうだ。  エレニアは白い肌で瞳は空色。黒い縁取りの眼鏡は、唯一の装飾品だろう。  ジーナを夏の真昼に輝く太陽とするならば、エレニアは冬の夜空に静かに浮かぶ月のようだ。  そんなジーナとエレニアは、観光でヨーロッパ周遊中だった。  二人のパスポートは世界的に認められたもので、大抵の国には入れたし彼女たちの仕事から考えると労働ビザが必要ない場合も往々に考えられる。 「次の仕事って、やっぱりこの先にあるの?」  ジーナは聞いた。二人で仕事を分担しているが、普通なら最低五人でパーティを組む。必要ならばこの二人も他のパーティと共同で仕事をするときもある。  なぜなら、彼らは狩人だからだ。  それも、ただの狩人ではない。  世紀の移り変わりの中で、人々の不安から吹き出るように現れた、伝説の中の怪物たち。それらが人々に被害を与える前に、迅速に狩っていく者たち──。  各国の政府が何もしないわけではない。実際、自国で自衛している国もある。  それ以外のところで、主に彼らは活動している。 「仕事のことを言い出すって事は、何かあるわね? 何を隠してるの?」  エレニアは答えを想像しつつ、ジーナに聞き返した。 「まぁね。やっぱりお金は入り用だものね」 「また新作発表会?」 「……」  図星だったようで、当分の間ジーナは黙っていた。 「とりあえずのところ、仕事になるかは分からない情報というのはあるわ。面倒な仕事で良いなら、幾つかあるんだけど?」  端末を操作し始める。  このまま何十キロも進めば問題を抱え始めた森林地帯がある。 「厄介な仕事だけど、その分報酬も高い。だけど軍隊が動いているから、仕事としては認証されないかもね」  エレニアは他にも幾つかピックアップしたが、どれも仕事としては安いものだった。 「……不景気だわ」  ジーナは頬を膨らませた。 「まぁ、そんなことをしている間にも街が見えてきた」  郊外に、赤い屋根と年季の入った煉瓦造りの家、というのがまず一番最初の印象だった。 「この辺りならどの仕事場にも近いし、飛び入りでも安く宿も借りられそうだわ」  エレニアは端末は操作し、周辺地域の情報を浚っていく。 「さて、ジーナ好みの仕事なんて、この中にあるのかしら?」 「どれどれ……」  手を乗り出して端末を見ようとするジーナを、どうにか手で押さえつけ前を向かせる。 「待ちなさい、とりあえず。値段を言っていくから、好きなものを選んで」 「んじゃ、一番高いの」  簡単に決まった。獲物は「情報不足につき不明」である。 「一緒に宿の予約を……」  それなりに安く泊まれるホテルはあるもので、一部屋一泊二〇ユーロ。  今回の獲物は、退治すると最高一万ユーロ。最低でも千ユーロが口座に入る計算である。  なぜ報酬が減るかというと、退治に時間が掛かれば掛かるほど、一般市民への被害が広がるからだ──などと答えが返ってくる。人がいない場所など、地球上にはほとんどないのだ。  予約した宿は、現在地から地図上で真っ直ぐ二十キロも進んだ所にあるらしい。その上、獲物の出る森にも一時間程度で行けるようだ。  しばらく、車載CDからアップテンポな曲が流れ続けた。  ジーナの好みで、ついつい彼女は歌を口ずさむ。 「明日から取りかかるとして、最大でも十日。すると、食費も込みで一日三〇ユーロとすると、三百ユーロか。弾丸が一発当たり……」 「ええーい、うるさい! さっさとチェックインしましょ!」  ネットにアップされた写真の宿が見えると、対向車がいないことを良いことに、ジーナはアクセルを踏み込んだ。後ろ向きに強引に引っ張られるようなGが、二人を座席に押しつける。  そのまま絶妙なステアリングさばき。  車は横向きに宿の敷地内に滑り込み、使い古されて白線がどこにあるかも分からない駐車スペースに、ジープよりも幾分小振りな大きさの車体をねじ込んだ。  ジーナは目を回しているエレニアを車から引きずり出して、宿のカウンターに引っ張っていった。  豪奢ではないが、落ち着いた雰囲気の宿。写真などのイメージでは、もっと豪快で、有り体に言うと、野性的なイメージが多かった。どちらにせよ、建物の骨組みは随分太いものだったし、簡単に崩れる心配は無さそうだ。 「ドイツって、もっとごちゃごちゃしてると思った」  などとジーナが呟いた。  木目がはっきりと浮き出た、カウンターテーブルに宿の従業員が居て、ここに記入を、と言う。  エレニアはポケットに入れていた身分証を見せて、宿帳に簡単な記名と身分証明と予約確認を済ませる。予約通り、見晴らしの良い最上階の部屋だ。  二人はさっさと車から荷物を持ってきて、部屋を確保。荷物置き場兼、臨時事務所兼、寝床に早変わりする。 「食事は別料金になりますので」  そんなことを聞いた気もする。 「仕事の準備が終わったら、食堂に行くから」  エレニアは、トランクケース五つに分割していた機材を順番に組み立てていく。  左から順に通信系統二つ、情報処理系統二つ、操作系統一つが入っていて、二人だけで狩人業をやるには不可欠な装備の一つである。これでもまだ、少ないぐらいだ。  背中まで伸びた髪をうなじの当たりで留め、少しは邪魔にならないようにする。意味はあまりないが、袖をまくり上げてやる気を出した。 「さっさと接続しますか」  車載端末では、情報の収集量が格段に落ちる。仕事を得るところまでは十分だが、そこから獲物の習性などを調べて特定するには、力不足である。衛星を利用して、ジーナの居所を把握する、適切なアドバイスをするのも、バックアップをするのも、強力な機材があるとやりやすい。  しかし、あくまでも持ち運びが出来る範囲での話なのだが……。 「これで、完成」 と、起動する。こういうときに笑みがこぼれるのは、彼女の癖だ。  電源は蛸足配線で、スタンドを外したコンセントから貰っている。どれだけの消費電力かは計算しているから、ブレーカーが落ちたりするということはない。  何日かぶりに起動した通信機器は、最新情報を順次情報処理系統に送り、新しいバージョンにソフトを更新していく。その次に、新しい依頼の情報──あとで車載端末に転送する──、最後に「傾向と対策」という狩人向けの情報誌。  転送をしている最中にメールチェックをしていないことに気づく。 「さて、事務所はどうなっているのかな?」  通信状況のバーがじわじわと増えていき、ポーン、と電子音が鳴るとメールソフトがディスプレイに展開された。 「事務所は、今日は暇だったのか」  ──稼ぎどころが観光旅行では、仕事の依頼もできないといったところ、か。  「傾向と対策」のピックアップ記事を印刷し、クリアファイルに納めるとエレニアは食堂に向かった。  ──今日こそは捨てられないように、釘を刺さないと。  部屋が二階。食堂はその真下にあり、一階にある。  時間は夕暮れには程遠いが、ジーナはビールを注文していた。テーブルにはビールのジョッキと、ウィンナーを乗せた皿があるだけ。 「ちょっと、ジーナ。栄養が偏るわ」  眉を寄せてエレニアが言うと、ジーナは赤らめた頬のままエレニアに言い返した。 「おいしいものは食べなきゃ勿体ないもの」  また一口、ビールをがぶりと飲み、追加を注文する。 「適当においしいものを。あ、ちょっと待って。それから──このビールも。へぇ、ビールって何種類もあるのね」  ビールは大きく分けて三種類はあり、それが国や都市によって微妙に味や趣を変えている。  エレニアも注文するが、これから情報をかき集める、という仕事が待っているので、盛大に飲むわけにはいかない。 「それにね、……飲み過ぎると太るわよ」  間髪入れず、 「ビールあげるわ。おいしいのよ。それにこれも……」  ジーナはエレニアの方に、来たばかりのビールジョッキと皿を押しつけると、手持ちぶさたになった。 「それじゃあ、心遣いを頂いて置くわ」  心の中でにやりと笑う。 「ついでに、これを見ておいて」  「傾向と対策」のプリントアウトを渡す。 「ふーん。今回の獲物が何か、わかったんだ」 「いえ、全然。でも、基本的なものだしね」 と手元に引き寄せたビールを一口。口の中に、ほのかな苦みが広がる。炭酸飲料のようなすっきりしたのどごしに、満足感と飲み過ぎの警戒感を思いつく。  ジーナは「傾向と対策」のプリントをさっと見て、 「いつも通りだわ。全部知ってることだらけ」  つまらなそうに唇を尖らせた。 「天気予報だと、雨が降りそうよ」 「あれ、雨具って用意してたっけ」  そんなことを言いながら、エレニアには気づかれないように「傾向と対策」のプリントを丸めて、手早く始末した。  ──テーブルの下を見ませんように。  内心で祈る。効果の程は、本人が一番知っている。 「羽織るだけのカッパがトランクに積みっぱなし」  そして、エレニアはビールをもう一口。 「後は、今のところ狩人が何組かが怪我をして撤退。賞金がちょっと増えたわ」  狩人協会は、狩人が撤退すると違約金を取ることがある。条件にもよるが、その違約金で他の狩人の保険やサポートをすることもあるし、今回のように賞金を出すこともある。 「今回は、街の市長が依頼したんでしょ? なのになんで協会が動いてるの?」 「市長と協会の支部長が幼なじみ」  エレニアはそう言って、ビールを一気に飲み干した。  ──どこからそんな情報を仕入れるんだか……。 「意外にいけるわ、これ」 「なんだか、どこでもそんな感じだわ。『二人は友達』って」  ジーナは両手を組んで、あごを乗せるとくつろいだ。内心は、テーブルの下に転がっている丸まったプリントの事で一杯になりそうだ。 「そうでもなければ、こんな格安な依頼が協会を通らない」 「格安なんだ、これ」 「実はね。危険度が、依頼料と見合ってないわ」  人間一人当たりが獲物に襲われる場合の被害額、襲われる確率、そして依頼して獲物が退治される場合の依頼料、その他の要因を総合すると、危険率と適切依頼料がわかる。 「まさか。協会がそんなものを……?」 「『二人は友達』だから、軍のレンジャー部隊が壊滅しても賞金は増えたりしないし」 「おいおい……」  呆れ顔でジーナは唖然としている。 「軍は協会とは関係ないから、違約金制度は適用されない。よって、増額する方法がないというのが現実」 「暗い現実だわ」  追加注文しながら、他にも言うべき事があったか考える。 「とにもかくにも、獲物は森林地帯に生息していて、軍のレンジャー部隊を壊滅させた狩り甲斐のあるものってことか」 「そういうこと」  エレニアは、正解です、というようににっこり笑って見せた。  エレニアが食べ終わるのを待って、食事の代金を精算する。  テーブルから距離が離れると、丸くて白い異物がエレニアの目にも入る。 「ジーナ……。あれは何かしら?」  頬を赤く染めたエレニアは、少し冷たく言い放つ。彼女の顔が赤いのは、何もアルコールのせいだけではないだろう。  説教の時間はかなりあった。内容は、右から左に聞き流していたために、どれくらいの時間が掛かったかなどジーナは覚えていない。  その後、ジーナはシャワー室、エレニアは組立式のワークステーションにかじりつく。  しばらく、水の流れる音とタイピングが部屋の音の全てであった。  ジーナは仕事の準備みたいな事を簡単に済ませると、早々にベッドにもぐり込んだ。エレニアの方は、データの整理を完了しシャワー室に向かったのだが、その頃にはジーナは寝てい たし、日が変わってからそれなりに時間が経ってしまっていた。  ふと、エレニアが目を開けたときに、窓越しに立つジーナを見た気がした。  ただ、いつものことで声をかけるべきか迷う。  ジーナに、夜中何をしているのか聞いたことも、彼女が月を見上げている時に声をかけたこともない。  ただ、どうすればいいかわからない。人が気にする必要のない場面に遭遇したとき、人それぞれの行動パターンが見えてくる。そして、エレニアの場合──  エレニアは、静かに目を閉じた。   新たな一日の幕開けを迎えた。  この日に仕留めれば、報酬は九千ユーロ。破格ではないが、悪くはない感じか。  二日酔いもなく、ジーナは車を操り目的地に向かう。  大した距離ではなく、だからこそ宿と目的地はやや距離を取った。 「さて、今回の敵さんは何かな?」 《さあね、それが分かり次第連絡するから》  端末からエレニアの声がリアルタイムに送られる。キーボードを叩く軽快な音が聞こえるから、またデータを検索しているらしい。 「毎度そうだけどさ、この通信システムってどんな原理で動いてるのよ」 《説明しても良いけど、混乱するだけよ》 「混乱するのは嫌だわ。わかりやすくならないの?」 《当分無理だわ。専門用語を簡単にしようとすると、よけいに難しくなるんだもの》 「それって、本末転倒していない?」 《実は、ね》  エレニアの笑いを噛み締める息遣いが聞こえた。 「笑ってるでしょ」 《通り過ぎてるわ》 「えっ?」  何が? と聞き返そうとして意味を悟った。ジーナが後ろを振りかえると、目印の看板だと教えられた標識が、車と同じスピードで後ろに逃げて行くところだった。 「もっと早く教えなさいよ」 《そう言うこともあるわ。まぁ、目安でしかないんだから、適当なところに停めれば問題ないわ》 「それはそうと、獲物の見当が付かないと倒しても無駄になるんだけど」  ちょっと待って、とエレニアは言う。通信機の向こうから、慌ただしいタイピングの音が聞こえる。叩く音だけ聞いていても、自動小銃を撃つような速さである。 《ああ、やっと出た。どうも、巨大生物の一種みたいだわ。貫通性のある武器は余り意味のない獲物なんだって》 「ふーん」 と、気のない返事をしながら停車。付近に警察車両がいないことを確認する。 「警察車両のパトロールって、何時ぐらいかな?」 《来そうだったら、遠隔操作でどうにでもしてあげるわよ》 「遠隔操作なんてできるの?」 《ハザード点けるだけ》 「無意味にバッテリー使うだけだから、そういうのは止めて頂戴」  その間にも、ジーナは銃を取り出しやすい位置に固定。森に入るので、山刀みたいなものを左手に持つ。  ふと、装弾されている弾丸がどの種類だったかを考えて、単価のことを思い出し黙っていることにする。高い。  車載通信機の出力を変更する。雨ぐらいなら大丈夫なインカムをつけて、腰元に小型の通信機をつけてカッパを羽織る。  ジーナはさっさと森に入り、他の狩人たちが動いた形跡、獲物の生息形跡などを探す。下生えと、茶褐色に変色した落ち葉とが足に絡みつこうとする。邪魔な下生えを山刀で切り払い、落ち葉を無視することにして、歩きにくいことを苦にもせず進んでいく。  そう簡単に何かの痕跡が見つかるわけではない。向こうとて、遊びで生きているわけではない。何かしらの過程を経て、巨大な生物の形を選びだしたはずだから。  森を進むと、直に銃創の付いた木を見つけた。  通信機のスイッチを入れる。こちらを追跡するために主電源が入りっぱなしではある。 「銃創を見つけたわ」 《その辺で戦いがあったみたいね。気を付けてよ、他の狩人は四肢欠損ぐらいの大けがはしてるから》 「何よそれ、やけに強敵なんじゃないの?」 《まぁ、そういうことで、下手に音を立ててると気づかれるかも知れないから、気を付けてね》  カサッ  気配を感じたと、脳裏にひらめいた瞬間ジーナの体は飛んでいた。  足下をなぎ払われたと知ることもなく、そのまま前転しながら受け身を取る。起きあがり様に銃を抜き、自分のいた方に向けた。  ──何もいない?  再びそこから飛び退く。  ザザッ  さらに深く、ジーナのいた場所が削られる。 「ちょっと、どうなってるのよ!?」 《さて、どうもさっき下生えが引っかかっているときの音が原因みたい》 「そういうことは、早めに言ってよねッ!」  戦いの場では、会話をするということは致命的だ、ということは分かっているがそれでも、毒づきたくなるときはある。  がざざざざっ  標的は、主に樹上を移動し、ジーナの真上辺りに来ると、急降下して攻撃を加えてくる。  銃口を上に向けて、鬱蒼と茂る枝葉を見て狙うのは無理だと判断し、ジーナはまず適当な方向に走ることにした。  ──まずは距離を取らないと……。  ザザッザザザッ……  音はジーナの走り出した方向に、向きを変えた。 《何か、考えでもある?》 「いや、全然。どうせ、相手は最近増えたパターンみたいだし」 《さて、ドイツにそんなパターンはあったかしら?》 「ドイツに限らず、世界中どこだってこんなパターンはあるわ!」  目の前に迫る木が邪魔だと思いつつ、脇にそれてはただひたすらに走る。ドイツは森が広いはずで、そこをクロスカントリーしつつ相手と戦うのは正直な話、かなりつらい。 「んで、私に片想いの彼はずっと、わかりやすくストーキングしてくれているんだけど?」 《そのまま十五キロも進めば、大きな道が見えるわ》 「まっ、マジでそれを言ってるの?」  一瞬声が上擦る。 《冗談! ハーフマラソンみたいなことさせられる分けないでしょ。途中にそこそこの広さがある池があるはずだけど?》 「……場所を指示して。後のことは後で考える」  ジーナは右手の銃が、走るにつれて重くなるのを感じながら、エレニアの声に従い走り続ける。いつの間にか、山刀はなくなっていた。 《そこから右に向かって……、そう。後はまっすぐ……》  通信機とGPSとが噛み合って、ジーナのいる緯度と経度がわかるエレニアは、出来るだけ楽に走れて獲物が着いてこれるルートを割り出していく。 《なんだか、釣りをしているみたい》 「言ってな」  木々が覆っていた空が、突然に現れてジーナは戸惑う。戸惑うが足は前に進んだ。本能はそのまま倒れ込んでしまいたいと言うが、それを強引にねじ倒す。 「さて、……私に片想いの彼は……どんな顔をしているのかしら?」  簡単な作りをした自然公園の一角に、ジーナはたどり着いていた。  腰までの柵が池を優しくくるみ、ぼんやりと眺めるには最高だ。 《どう、自然公園は清々しい気持ちにさせてくれるでしょう?》 「そうね。片想いの彼が、八本足でなければ良かったんだけど」  自動小銃を連射するようなタイピングの音。 《やっぱりか》 「こいつが……?」 《黄色と黒の縞模様なら、本命の彼だわ。……協会のサイトも、なんだか凄いタイミングで更新してくれるわ》  ジーナは肺に大きく息を入れ、一気に吐き出した。  咳にも聞こえる音が発せられる。──威嚇の音、と人は知らない。ジーナもそれが何を意味するかは知らないが、体の意図するままに動くのは、嫌いではない。  貪欲に生き抜く意志が、両脚の筋肉を震わせ、瞬発力を与えた。 「まず、一本!」  飛びかかってきた獲物を横にかわし、近距離で発砲、反動を利用し更に距離を取った。  外骨格に覆われた獲物の、前足が一本弾け飛び、勢いを支えきれなかった獲物は池に飛び込む形となる。 《愛しの彼の、愛の抱擁はどんな感じ?》 「積極的だけど、私は好きになれないわ」 《そう、残念ね。どうやって振るつもり?》 「考えてないわ。だって……」  銃声が響き渡り、池から這い出そうとしていた獲物の顔半分を吹き飛ばす。 「言葉が通じないんだもの」  オートマチックピストルが、更に一発分排夾し、獲物の足が六本に減った。 「ちょっと、しつこすぎるんじゃないの?」 《ストーカーは、そういうものでしょ》 「人ごとだと思って……」 《半分はね。でも、あなたがちゃんとやってくれないと、私も明日からの生活に困るしね》  果敢にも、再度飛びかかってくる獲物を、跳び箱を跳ぶ要領で飛び越えると、真後ろから銃弾を浴びせる。  白い糸が吐き出されて、銃がもぎ取られるのと獲物の腹が破裂するのは、同時だといっても良い。 「なんていう生命力」 《むしろ、執念だわ。あなたへの愛は海よりも深かったのに》 「古クサい。それよりも、地面に叩きつけられて銃が痛んでないかしら?」  ジーナの手から地面にダイブして、ネバネバの糸にくるまれた銃は、いつも通りの黒光りした体を露わにする。 「さて、こいつをどう始末すればいいのよ?」  軽快なキーボードの音が聞こえる。 《──待って、今依頼者に問い合わせ中》 「とりあえず、動かなくなって誰にも被害を与えなければ問題ない訳ね」 《そういうこと……みたいね》 「それじゃあ、頭が半分無くて足も減ってて、お腹が破裂していても動いてたら、始末の対象かしら?」 《……》  エレニアはこれから起こることを予想して、耳に当てていたヘッドセットを外した。  ノイズまみれの銃声が、向こうから伝わった。  まず、動けなくなるように足を片っ端から叩きつぶし、荒ぶる銃弾を連射してもぎ取る。辺りが硝煙の香りに包まれた頃には、弾倉を取り替え、再び狙いを定めている。  持っている銃把まで熱くなりそうな、それほどの連射を行う。  残り半分の頭は綺麗さっぱり無くなり、足の生えていた胴体部分は筋肉と内臓器官を辺りにばらまいた。  それでも痙攣しながらジーナに近づく獲物を、二十五発目の弾丸が止めた。  体のあちこちに散らばっている脳のネットワークが停止した証拠だ。 「エレニア、私、次に依頼があるときはこの手の相手は嫌だわ」 《なんで……?》 「子供まで、ストーカーさせるのはちょっと……」 《あら、同性だったわけ?》 「ま、そういうことみたいだわ」  ジーナは溢れかえるような、小石ほどの獲物をとにかく踏みつぶし回った。それ以外に有効な手段を持っていない。  大半は母親たる獲物の体を貪り、あぶれた弱者はジーナに縋る。 「私はあんたたちの母親じゃない!」  幾つもの小さな獲物どもを踏み殺しただろうか。気が付くと、日が暮れていた。  自然公園に少ししかない街灯と、沈み始めた夕日と浮かび始めた月と星が、生存競争の果てに生き残った勝利者たるジーナを、うっすらと照らした。 「もっと何もないときに、公園は来るものだわ」 《同感――じきに始末屋が後片付けに来るわ》 「仕事が早いわね」 《だって、彼らはそれが仕事だし》  言っているそばから、あまり趣味のいいとは言えない塗装の、ワゴン車が数台公園の駐車場に入ってくる。まるで、デパートのバーゲンに殺到する主婦みたいに、競うように死骸に群がる。 「なんか、気味が悪いわ」 《なんでも売れる時代だから》  始末屋が死骸となった獲物を解体し、売れる分を市場に流そうがどうしようが、狩人は獲物を「狩る」までが仕事。始末屋は獲物の死骸と、戦いのあった後を綺麗に「始末」するのが仕事である。 「あんまり見ていて、気味の良いものでもないみたいだわ」  死骸も半ば解体されたあたりで、ジーナは視線を出入り口の方に向けた。これ以上見ていても、獲物が蘇生することは無さそうだ。  特殊な獲物は大けがをすると仮死状態になり、油断した隙に逃げ出したり始末屋を殺したりすることもある。  しばらく靴の裏の粘りけを地面に擦り付けていたが、思うように取れずベンチに腰を下ろした。  がさささっ  とてもさっぱりした、場違いな音――。  始末屋たちが持ってきて機材の、ガチャガチャした音とは根本的に違う音。  それは破壊。  それは殺戮。  そして悲鳴。  ジーナはホルスターに収めたはずの銃を取り出し、死骸と始末屋達のほうに走る。  目に映ったのは、黄色と黒の縞縞。 「走る遮断機か、糸を吐く遮断機かしら」  さっきまで戦っていた獲物とは、根本的に何かが違う。 《身篭った奥様はストーカー。ならば、目の前にいるのは?》 「さぁ。血を欲しがる殺戮者かしら」  たいした防護服も身に纏っていない者は、鉤爪に臓腑の辺りを貫かれ、血肉の躯に変化する。  まるで、人間の肉団子だ。  まだ獲物は、ジーナに気がついていない。 「そういえば、獲物ってオスなんだっけ――」  クロスカントリーをしながら、そんなことを聞いた気もする。  狙いを澄まし、立て続けに三発。  蜘蛛の顔は吹き飛び、足はもげ、腹は破裂した。  だが、それはまだ動く。銃を瞬時に構え、そして、獲物は跳んだ。  始末屋どもを蹴散らし、ジーナに頭上から襲いかかる。咄嗟に前に転がり、獲物をやり過ごす。べたべたした粘液が体中に掛かるのも気にせず、そのまま前転の要領で起きあがり、銃を向ける。  一発、二発、三発──。  確実に外骨格を削り、破裂され、傷つけているはずにも関わらず、獲物はまだ動いた。  ──何かが違う……  それは、ある意味戦いやすい相手だ。  方向転換すると、ジーナに真っ直ぐ向かってくる。  しかし、今度はうまくよけられない。体中に粘液がまとわりついている。  銃を撃つ発想よりも、攻撃をよける方を選び、とにかく横に体全部を跳ねさせる。そのまま地面に倒れ込むことになったが、獲物の鋭い鈎爪から身を守れた。  銃を構え、そして連射した。  騒音がまき散らされる。獲物は体中を撃ち抜かれながら、それでも方向転換をしようともがいた。  あと一つしかない弾倉に取り替え、そして再び連射する。  ──もう動けない。仕留めないと……。  足は全て弾け跳んだ。頭はどこにあるのかもわからない。腹は、無い。 「今度は、子供が出て来たりしないはず」  確かに出てこようがなかった。  汗でべっとりと肌に張り付いた粘液まみれのカッパを引き剥がしながら、ふと空が赤いのに気が付き振り返ると、血よりも鮮やかな赤色の太陽が、森の向こうに沈んでいこうとしている。  大して、時間は経っていなかったようだが、体はとても気怠くて重たかった。 「ばいばい太陽、おはようお月様」 《なにそれ。何かのおまじない?》  くすり、と笑いジーナは、教えない、と笑う。  ホルスターに収まった銃はやけに重たく感じられ、それだけ疲労しているのだという実感に繋がる。  公園の入り口辺りには、夕方以降は閉店しているのだろう売店が、店じまいを始めていた。オープンテラスになっているので、少しは椅子を借りて休憩しても良いだろう。  体の力をゆっくり抜いていき、完全にリラックスした状態を作ると、疲労感と気怠さが心身を侵す。 「はぁ、疲れた」 《お疲れさま。獲物の死体は始末屋が適当に始末してくれるはずだから、後始末なんかは気にしないで帰ってきてね》 「始末屋の死体は誰が引き取ってくれるのかしら?」 《それは警察の仕事でしょ?》  そういえばそうかもしれない、と思考が止まり始めた頭で考える。 「太陽が沈むのも悪くないかもね」 《……はぁ》  曖昧な返事。それでもジーナには良い。疲れて言っていることがうまくまとまらない。後で、ゆっくり話せばいいのだ。  しばらくすると、サイレンの音が遠くから聞こえてくる。 「……来たみたいだわ。それじゃあ事故を起こさないように、ゆっくり帰るとしますか」  よっ、と口から漏れた声を耳にして、ジーナは自動車に向かう。 《お疲れさま》  報酬が口座に入金されているのを確認すると、ジーナもほっと肩をなで下ろした。 「やれやれ、巨大蜘蛛が相手とは厄介な仕事だったわ」 「これが、ただの平原とかでなら、話は早いんだけど森林地帯じゃ安いかもね」  平原だったら、きっと地蜘蛛との戦いになるだろうな、と考えたところでエレニアは端末から目を離す。  ジーナはビールジョッキを傾けると、そのまま胃に流し込んだ。 「でも、これでヴィヴィオの新作発表会に行けるわ」  ジーナがブランド物を買い始めたのは、つい最近というわけではない。だが、散財家の傾向を別に止める必要もないだろうとエレニアは思う。 「戦いの後の酒は、おいしいからねぇ」  夜遅く、ジーナが月を見上げていることがある。  そんなことは、年に何回かある。だから、気を紛らわせてくれるのなら、どんな方法でも良いと思う。まだ、健康的な方だ。全盛期を過ぎた狩人に薬物中毒者は多い。 「それに、ドイツに来たんだからすこしぐらいは騒がしくないと」  酒場は人で埋め尽くされ熱気に満ちた物になっていた。  この日ぐらいは、ジーナは月を見上げないだろうと、エレニアは思う。