執筆班による小説作品


タイトル  猫の詩

作者名  秋菊



 雨が降りしきるある日の夕方、街の路地裏に一つの段ボール箱がある人間の手で置かれた。
 その人間は、段ボールの中を眺めて、罪悪を感じたような表情を作ると、一言だけ段ボールに謝って、すぐにまた雨の中に駆け出していった。
 振り返りたいのをこらえて、家に帰っていった。
 仕方ないのだ、と言い聞かせて。
 その段ボールの中には、一匹の子猫が自分の身に起こっていることを知らないまま、申しわけ程度に敷かれたタオルの上にまるまって、とても安らかな寝息を立てていた。
 彼女は、人間に捨てられたのだ。

 彼女が気がつくと、見慣れない茶色の壁に取り囲まれていた。とても狭い。
眠る前いたはずの母親もいない。子猫は好奇心に任せて、段ボールから顔を覗かせた。
 壁の外も狭かった。右と左に大きな道がみえる。
 外に出ようと、やたらと薄く、もろい茶色の壁に爪を立て、はいあがろうとしたが、出来なかった。
 彼女は恐くなった。空も段々暗くなっていく。
 彼女にとっていつもと変わらないのは、太陽がその時刻に沈もうとしていることだけだった。
 そして、そんなときいつもするように、彼女は泣いた。
 大きな声で、何度も、長い時間泣き続けた。
 母親を呼び続けて泣いた。
 けれど、母親はこない。
 彼女の泣き声は、息をつくごとに大きく、恐怖を湛えたものになっていった。

 彼女の瞳が輝き出すくらいに日が沈んだとき、彼女の泣き声に答えて、親猫らしき泣き声が聞こえてきた。
 明らかに、彼女の呼び掛けに答えていた。
 段々と近づいてくる。
 彼女は自分の居場所を知らせようと必死になって泣いた。
 すると路地裏の奥の闇に二つの光が見えて、段ボールの前にやってきて、止まった。
「・・・お母さん?」
 彼女は聞いた。そのメス猫は彼女には自分の母親にみえた。
 母親のことは匂いくらいしか覚えていない。
 確か、母親も今嗅いでいる匂いだった。
 メス猫は彼女の言葉を聞くと、黙った。
 瞳にも、泣き声にも敵意は感じない。
 とても愛しそうに、そして哀しそうに彼女を見つめると、メス猫は彼女を段ボールの中から首筋をくわえて引っ張り出した。
 彼女はその瞬間、そのメス猫を自分の母親とした。
 母親のはずだ。
 彼女が一泣きして、お腹が空いたと訴えると、メス猫はすぐにミルクを与える姿勢をとった。
 彼女は、もう信じた。

 メス猫は、つい2、3日前に産んだばかりの子供を亡くしていた。
 その代わりに、段ボールの中で泣いていた子猫を育てることにしたのだ。
 子供は、自分が餌をとりに行っている間にどこかに行ってしまった。
 どうも、人間が連れていったらしい。

 子猫はメス猫のもとで育っていった。
 既に段ボールの中で抱いていた恐怖心はなく、子供らしい好奇心と無邪気さを発揮していた。
 メス猫が餌をとりに行って、言われたとおりの場所でその帰りを待っていると、中学生くらいの男の子二人が、影に隠れていた彼女を見つけて近寄ってきた。
 二人のうち一人は、その場にしゃがみこんで手をたたきだした。
 彼女は好奇心に任せてとことことその中学生の手のひらに向かっていった。
 男の子は子猫についての感想を口々に言い合いながら、彼女の頭や喉をなでたりした。
 それが気持ち良かったこともあって、警戒心はまったくなかった。
 結構長い間、そうやって中学生たちとじゃれていると、メス猫が餌をくわえて帰ってきた。
 中学生たちも、メス猫の姿を見つける。
「母親かな?」
「じゃないのか?」
「でも毛の色がぜんぜん似てないんだな。」
 そんなことを言い合ってうちに、メス猫はすごい勢いで人間との距離を詰め、とても低い、うなるような泣き声で人間達を脅したてた。
 メス猫にまったく危険性を関知していなかった中学生たちは、その飛び掛かってくるような勢いに驚きの声をあげ、さらにメス猫がにらみつけて、獲物を狙うときのように構えると小走りに街の大通へ帰っていった。
 子猫は、そんなメス猫の態度を間近に見ていた。よく、わからなかった。
「・・・ほら、早くご飯を食べなさい。」
「うん・・・お母さん。」
「なに?」
「ううん・・・なんでもない。」
「・・・人間に甘えることを、頼ることを覚えちゃ駄目。生きていけない。」
「・・・どうして?」
「人間は信用できないのよ。」
「そうかな・・・。」
 子猫は、メス猫が運んできた餌を口にした。
「私達猫は、信じやすい性格なの。それじゃ、だめなのよ。」
 メス猫は、子猫の体をきれいになめはじめた。
「・・・さっきの人達も、すごく、優しいよ。」
「わからないわよ。」
「そうかな・・・。」
「誰にも頼っちゃだめ。誰も信じなければ、裏切られることはないのよ。傷つくこともないわ。」
「・・・・・・。」
「生きていくためなのよ。人間がいる場所で。」
メス猫は仕上げとばかりに、大きく子猫のお腹から背中をなめあげる。
 そんなとき、さっきの人間と同じ服をきた人間が、また猫達を見つけて、声をかけてきた。
「おいで、おいで。ほら。」
「親子かな?」
「そうだろ、きっと。ほら、こっちおいでって。」
 子猫はしばらく人間のほうを見ていたが、ゆっくりとメス猫に視線をむけた。
 メス猫は、好奇心の狭間で揺れている子猫の顔をじっと見つめた。
「・・・うん・・・。」
 子猫はなんとなく、メス猫に同意した。
 メス猫の言っていることは、自分の為なんだということくらいしか、わからなかったが。
 人間は、諦めて元の道に戻っていった。

 親離れも近付いたある日、メス猫とは別行動で、子猫は狩りの練習をしていた。
様になってきたテクニックで路地裏を這いまわる小さなネズミを捉えると、メス猫に見せようと住処に早足で戻ってきた。
 そのときだった。
 路地裏と大通りが交わっているところから、怒り狂ったメス猫の鳴き声が聞こえてきた。
 制服を着た人間数人に、小さな檻に入れられて、車に積まれるところを子猫は見てしまった。
 メス猫は、必死に近くにいるはずの子猫に危険信号を泣き声にのせて発していた。
「きちゃだめ。おまえも捕まえられる。隠れていなさい。そして逃げなさい。一人で生きていきなさい。」と。
 子猫はいう通りに隠れた。
 人間達が話している。
「子猫もいるって聞いたんだが。」
「この路地裏が住処らしいから、しばらくしたら戻ってくるだろ。」
 子猫は、恐くなった。
 人間が恐ろしいものだと、母親を取られたことで知らされてしまった。
 裏切られた。少なくとも、自分の中の甘えに。
「お母さんの言ったこと、本当・・・。」
 メス猫の、残る力を振り絞った叫び声が、檻を越えて聞こえてきた。
「逃げて!!」
「・・・お母さん・・・。」
 人間は、猫の言葉を解さない。
 子猫は意を決すると、まだ小さな体を活かして、人間に見つからないように路地裏を抜け、新しい住処を求めて歩き出した。
「・・・お母さん・・・。」

 それからしばらく、子猫は新しい住処を見つけたものの、まだまだ新顔のため、いい餌場にはありつけずにいた。
 母を失ったショックで、餌場を他の猫と争う気も今は起きなかった。
 毎日毎日、空腹のまま街を歩き回った。

 ふと、子猫は路地の影に座り込んで、何かを求めるような眼差しを街に向けた。
 心の中では、人間に甘えて餌をもらおうという考えと、メス猫ということを聞いて自力で何とかしようという考えが葛藤していた。
 彼女のなかでは、まだ、信じることを完全忘れたわけではなかった。
 しかし、再び裏切られて、傷ついて、大きなものを失うのが恐かった。

 そんな彼女の前を、一組の親子連れが通りかかろうとしていた。
 母親が、向かいから歩いてきた友達と話し始めると、居場所のなくなった子供は周りをきょろきょろと見回し、じきに子猫を見つけた。
 男の子はすぐに走り寄ってきた。
 子猫は、相手が子供なのですぐに逃げるということはしなかった。
「子供なら・・・大丈夫ね・・・。」
 もちろん、もう撫でられることを許す気にはなれなかったので、これ以上近付いて来たら一定の距離をとるつもりでいた。
 男の子は、片手に大事そうに持っていたフライドポテトを一本とって、躊躇なく子猫に差し出した。
 男の子を視界の隅にしか捉えていなかった子猫は、いきなり目の前にあらわれた棒状のものに驚いた。
 退こうかと考えたとき、にこにこした男の子のまっすぐな輝きを持った瞳が見えた。
「はい。」
 男の子は、なかなかポテトを食べようとしない子猫を根気良く待ち続けている。
「・・・この子、悪い子じゃないよ・・・。」
 空腹のせいかもしれないが、そう判断した子猫はとりあえずその棒状のもののにおいを嗅ぎ、安全だと思うと、食べた。
 ポテトを床に落として口を動かしている子猫を見て、男の子はまだにこにこしていた。
 子猫は、そんな男の子を、眼球だけを動かして観察した。
 男の子は、子猫が食べおわったのを確認すると、その頭と喉を撫でて、小さな腕でゆっくりと抱き上げた。
 相変わらずの男の子の笑顔に、子猫の不信は和らいだ。
「・・・こういう人間になら、飼われたっていいのに・・・・・・。」
 子猫はふと、そう思った。
 母親がいなくなってからというもの、住処と餌場の争いにはじまった厳しい現実に揉まれ、まだまだ半人前にも満たない彼女の心は疲弊していた。
 もともと生まれたときは家猫だったことも、影響しているかもしれない。
 そんなとき、母親がおしゃべりを終えて子供のところにやって来た。
「行くわよ。」
「はーい。ねえ、ママ。この猫飼おうよ。」
 子猫は、男の子の提案にはっとした。
「あら・・・かわいいわね。どこにいたの?」
「あそこ。ねえ、いいでしょ?」
「・・・だめよ。」
「どうして?こんなに可愛いのに。」
「猫はね、自由な生き物なの。」
「自由?」
 子猫も、母親の言っている意味がわからなかった。
「人間に飼われるより、一人で生きる方が幸せなんだから。」
「・・・そうかな?」
「そうよ。神様が一人で生きる生き物に作ったの。だからそれが一番いいのよ。」
「ふーん。」
「わかったら、帰りましょう。猫にバイバイして。」
「うん、猫ちゃん、ばいばい。またね。」
 男の子は抱いていた子猫をおろしてさよならを言うと、母親の隣にぴったりついて街に消えていった。男の子の服には、ほんの少しだけ爪が引っ掛かった後が残っていた。
 残された子猫は、また路地の影に座った。
 小さく、一鳴きする。
 男の子は一度振り返って手を振っただけで、親子連れが戻ってくることはなかった。
「人間は・・・私達猫のこと、そういう風に思ってるんだ・・・。」
 子猫は悲しく、もう一鳴きした。
「信じたいのに・・・頼りたいのに・・・猫だって・・・。」

「・・・人間に甘えることを、頼ることを覚えちゃ駄目。生きていけない。」
「誰も信じなければ、裏切られることはないのよ。傷つくこともないわ。」

 子猫は、メス猫の言葉を思い出し、自分でも復唱してみた。
「きっと、そうなんだ・・・。」
 少しだけ、その意味が理解できたような気がする。
 同時に、できればずっと理解したくなかったとも思った。
「こんな悲しいことだなんて・・・知りたくなんかなかったよ・・・理解なんてしたくないよ・・・。」
 子猫が、また、空腹に任せて餌を探し始めようと立ち上がったとき、後ろからオス猫の呼ぶ声がした。優しい、包みこむような呼び声だった。
 彼女は振り向いて、とっさに警戒の態度をとった。
 オス猫の足元には、彼が持って来たと思われる魚があった。
 彼は、子猫が自分のほうに向いたのを見て、地面の魚を頭で押して前に出した。
 子猫に、「君にあげる」と言うふうに。
 二匹とも、そのまましばらく動かなかった。
「また・・・人間に裏切られたんでしょ?」
 口を開いたのは、オス猫だった。
「・・・本当は、猫って純粋で、寂しがり屋で、何でも信じやすくて、甘えん坊で・・・ でもだからこそすごく傷つきやすくて、傷つくのを恐がって・・・生きていくために、自分以外を信じることを捨ててしまう。」
「・・・・・・。」
「そして、そんな僕等を見て、人間はろくに僕等の言葉もわからないくせに、孤独な生き物で、孤独が一番幸せな生き物だと決め付けてくる。お互いが避けちゃうんだね。だから、余計に相手のことがわからなくなる。どんな生き物だって、孤独が好きな生き物なんて絶対にいないのに。」
 オス猫が話し終えると、子猫はゆっくりその場から立ち去ろうとした。
 それを見てオス猫は、また魚を口にくわえると、彼女を追い越して振り向き、魚を彼女の足元に置いた。
 子猫は、魚と、真剣で優しい眼差しを送り続ける彼を交互に見つめた。
 彼は、そっとそんな彼女に体を寄り添わせ、彼女の身体を一周する。
「僕のことくらい、信じてよ。君の気持ちはよくわかるんだ。」
 二匹は見つめあった。子猫の瞳には、まだ少し、不安と疑いがあった。
 それを悟ったオス猫は、彼女に対してもう一言、付け加えた。
「僕は、君と同じ猫だから。」
 そして二匹は、オス猫の持って来た魚を分けあった。


あとがき

 この話は本当は猫の話ではありません。話の中の猫も本当は人間で、社会からどこか離れたところにいる人間を表現するために性格イメージがぴったりな猫を使いました。どんな人間を表しているかは、話の中で話した通りです。
 この作品は3年前に書いたもので、猫たちにはちゃんとノンフィクションのモデルがいます。



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