部誌7号掲載作品


タイトル  生きる意味

作者名  弾丸


「ありがとう」
 彼女、優は抑揚の無い声で、しかし彼女なりの感謝をこめてそう言った。
 時刻はまだ午後2時だったが、今朝からの分厚い雨雲。
 そして締め切られているカーテンのせいで全く光を通していない。
 そのせいでアキラは彼女の表情さえ分からなかった。
「……何が?」
 少し声が上擦っていた。いつも来ていた病室が暗さのせいか、息苦しささえ感じた。
「分からない……、かな?」
 アキラがその病院を訪れたのはいつもの検査だった。
 先天性心疾患。
 それが彼に背負わされた運命ですべてだった。
 幼児期を終え、それは未だアキラを蝕んでいた。
 毎日が死と隣り合わせ。
 眠ったら二度と目が覚めないかもしれない。
 そんな不安から不眠症にもなった。
「大丈夫です。きっと治ります」
 そんな医者のセリフからもう10年以上経っていた。
 高校が半日で終わり病院へのいつもの検査が終わってアキラは自販機でミネラルウォーターを買っていた。
 唯一アキラが母親から注意を受けずに済む飲み物だった。
 しかしその母親もすでに他界している。
 ただの交通事故だった。
 アキラが10歳の頃買い物に出かけていて跳ねられたのだ。
 それ以来アキラは水しか飲まなくなっていた。
 季節はまだ4月の肌寒い季節であったが、「ミネラルウォーターにホットがあるわけがないか」と心の中でくだらないことの考えながらそれを飲む場所を目指して歩いていた。
 飲みながら帰ってもいいのだが彼にはお気に入りの場所があった。
 それは一本の古い木の前のベンチだった。
 日当たりはいいが、病棟から少し離れていてほとんど人気がない。
 しかし彼にはそれが心地よかった。
 誰もいないこのベンチで何も考えずにいる。
 それがこの病院に通院するようになっての日課になっている。
 3分ほど歩いてようやく着くとそこにはパジャマ姿の女の子がいた。
 歳の頃はほとんどアキラと一緒ぐらいだった。
 しかしそのパジャマが余りにも幼すぎた。
 ピンクでデフォルメの猫がいくつもプリントされていた。
 そのパジャマの少女は目こそ開けているが起きているかどうか分からないぐらい微動だにしなかった。
 すると急に冷たい風が吹き、少女の長い髪がなびいた。
 それで目が覚めたのか、目に生気が戻り、辺りを見回した。
 当然のようにアキラと目があった。
 ほんの数秒見つめあってしまったがベンチを取られている事実に興ざめしてアキラは立ち去ろうとした。
「待って」
 短くそう後ろから聞こえてきた。
 後ろにいる人は彼女しかおらず、彼は振り返ると目の前に彼女がいた。
「うわああぁぁ!!」
 思いがけない奇襲に彼はまるでお化けに会ったような情けない声を出し、仰け反った。
 心臓の音がどくんどくんと耳にまで届いていた。
「……どうしたの?」
 訳が分からないといった顔で彼女は眉をひそめ、アキラに聞いてきた。
「いきなり、目の前にいたら誰だってビックリするわ!!」
 初対面の人にも関わらず、彼は怒鳴り散らした。
「……ごめんなさい」
 彼女が本当に申し訳ないように謝ったことで彼はやっと自分が取り乱していたことに気付いた。
 目の前には頭を深々と下げている少女が一人。
「い……、いや……、オレの方が悪かった。ごめん、あんなことで怒鳴って……」
「……そうよね。考えると私悪くないわ」
 正論だったが、そう言われると正直むかついた。
「で、何の用?」
「ああ、そうそう。あなた、あそこに座ろうとしてたでしょ?」
 細長い指でさっきまで座っていたベンチを指差しながらそう言った。
 アキラはああ、と軽く答えた。
「だったら、もういいわよ。
 もうそろそろ部屋に戻らないといけないし」
 腕にしていた時計を見ながらそういった。
 その時計も指針の後ろでサルが笑っていた。
 何故かそのサルにバカにされたような気がした。
「もういいよ。座る気なくしたし」
 ミネラルウォーターのキャップを開け、そのまま一口つける。
「じゃあな」
 そう言ってさっさとその場を離れた。


「検査はどうだった?」
 いつもの父親の言葉。
 検査が終わった後、アキラが父親に会うといつもこの言葉で聞いてくる。
「変わったことはなかった」
 家政婦が作ってくれたゴハンを食べながら言った。
 父親は遅くまで会社で働いており、家の食事ははほとんどその家政婦が作ったものだ。
 父親との会話の半分はこれで済む。
 父親はアキラのことをどう扱っていいのかわかって分からないのだ。
 思春期の子供だけでもやっかいなのにいつ死ぬかも分からない体。
 今日は仕事が早く終わり同じ食卓に着いたが普段は1日顔を会わさないことの方が多い。
「その、まあ、なんだ……」
 突然父親が箸を置き、話し掛けてきた。
 アキラは驚き、一瞬箸を動かすのを止めたがそのまま聞き返した。
「何?」
「……明日は母さんの命日だ」
「……そう……」
「一緒に行かないか?」
「いや、いいよ」
 少し父親が残念そうな顔をした。
「明日は一人でいく。どうせ、父さんも忙しいでしょ?」
 父親は小難しい顔をして、そうか、とだけ言った。
 父親は知らないだろうが、アキラは毎年母親の墓参りに行っていた。
 そして毎年考えているのだ、生きる意味を。


 もう春といっても良かったが、今日は少し暑かった。
 手に持っている桶に少し水を汲みすぎたのか、腕がだるかった。
 母親が眠る墓に着くと買ってきた花を供え、線香を上げる。
 線香の匂いが立ち込める中、墓石に無水を上げる。
 ほとんど無音の中、アキラは毎年ここで同じ事を考えるようになっていた。
 母親は34歳の若さでこの世を去った。
 とても元気で病気にもなったことがないと自慢していたほどである。
 そんな母親でさえ簡単に死んでしまう。
 母は生きて来て何か成し遂げたのだろうか?
 生きてきた意味はあったのだろうか?
 アキラは考える。
 そしてアキラはもっと早くに死ぬだろうと体で感じていた。


「……やあ、また会ったね」
 次の一週間後の検査が終わった後、彼女は古い木のベンチに座っていた。
 まるでアキラを待ち構えていたようにニヤリと、少し笑った。
「……ささっ、まあ遠慮せずに」
 自分の家に上げるようなセリフがどこかバカにされてるようでいやだった。
 しかし彼女に促されるままに隣に座った。
「……キミ、名前は?」
「アキラ。あんたは?」
 買ってきたミネラルウォーターを飲み、答え、尋ねた。
 即答したのが意外だったのか彼女は少し、戸惑っているように見えた。
「……ええ、私はハルカ。よろしくね」
「ああ、よろしく」
 ハルカはそういうと古木の方に目を向けた。
 アキラは飲みながら横目でハルカの方を見た。
 よく見ると可愛い顔をしているように見える。
 自分と同い年か少しだけ下か。
 けれど身に付けているものがより一層幼く見せている。
 今日はピンクでくまさんプリントだった。
「きみはいくつ?」
 いきなり直球で気になることを聞いてみた。
「ハルカ」
 名前で呼ばれないと不満なのか、質問とは別のことが帰ってきた。
「……ハルカはいくつ?」
「……17歳になったばかり」
「なんだ、同い年か」
 共通の物を見つけたのが嬉しいみたいで目を輝かせた。
「……本当に? ねえ、高校には行ってるの?」
 その言葉には羨望の意味が含まれていた。
「ああ」
 アキラは気付かずに素っ気無く答えた。

「じゃあさ、高校の話やいろいろしてくれない? ずっとこの病院にいると暇で暇で」

「別にいいけど」

 他愛のないことを当り障りない範囲でしゃべっていった。
 友達は何人いるとか。
 どんな学校にも一人は面白い先生がいるとか。
 学校の行事には楽しめるものと楽しめないものが極端に離れてるとか。
 ハルカは控えめだったが、興味津々といった感じだった。
 アキラはこの時ハルカが病気で高校には進学していないことを知らなかった。
 10分ほどアキラが喋りっぱなしでいたが一方的に話すのは疲れたのか一息ついた後、少しだけ沈黙があった。
「けど、長いこと通院してるけどあんたを見るのはこの間が初めてだったな」
「……そりゃあ病院自体も広いからね。それに私が転院したのも最近だったしね」
「いつぐらい?」
「……2ヶ月ぐらい前かな」
「どうして転院したの?」
 素朴な疑問だったが確信を突いていた。
「……気分転換だよ」
 そういってハルカは立ち上がり
「もう戻らないと」
 少し慌てたような声でそうアキラに告げた。
「今度は病室に行ってもいいかな?」
「……もちろん。またお話しようね」


 何度も何度もアキラはハルカの元に訪れた。
 初めはあまり話ができず、途切れ途切れに話していたが、
 アキラは通院の度にハルカの病室を訪ねた。
 春が過ぎ、夏に入りかかったときにその言葉はアキラに届いた。

「一緒に死にたいとは思わない?」

 ハルカの症状は末期のガンだった。
 どんなに延命しても半年が精一杯、
 それが医者からの言葉だった。
 そんな重いものをハルカは何気なくアキラに言った。
 ハルカもアキラの症状は知っていた。
 二人の間に奇妙な絆のようなものができたのだった。
「私はもう生きてても仕方がないの。苦しい闘病生活を続けても後半年の命。いいえ、もっと少ないと思う」
 いつになくはっきりと言葉を区切っていく。
 それがハルカの意志が表れていることを示していた。
 それに気付いたアキラは苦笑すら浮かべた。
 初めて生き生きしている顔を見たのが自殺を決意した時なのだから。
「でもそれはあなたも一緒でしょ? アキラも少し長いだけの違いだけだから。」
 冷たいハルカの言葉。
 まるで旅行か何かを決める時みたいに淡々とした口調で話していく。
 アキラは何も言葉を話すことは出来ない。
「だから……、一緒に死なない?」
 ハルカの言葉に耳を傾けることしかできなかった。
 自殺をする。
 それはアキラも何度も考えたことだった。
 いや、もしかすると全ての人が一度は考えることかもしれない。
 けれどアキラはそれを実行することはなかった。
 実際にカッターを手首に当てたこともあった。
 けれどアキラはこれまで苦しみの生を選んできた。
 でも目の前のハルカはもう一つの選択肢を選ぼうとしていた。
「……私はあなたのことを好きになれたのかもしれない」
 誰にも聞こえない声でハルカはそう言った。
「ごめん、バカな考え言って」
 何かを仕切りなおすかのように手のひらをひらひらさせ、話を中断させた。
 元々話は成立していなかったが。
「今日はもう気分悪いから出てってくれない?」


 あれから一ヶ月、ハルカと会えなかった。
 次の診察日に行ってみたが、計ったように病室は留守だった。
 看護婦に聞いても詳しいことは分からなかった。
 どうやらアキラの診察日だけ病院を抜け出しているらしかった。
 ハルカの親の願いで病院側は黙っているしかないようでそれを黙認していた。
 このまま会えないと思っていた。
 けれどアキラは人生を革命的に動かす日が迫っていることは知らない。
「ありがとう」
 彼女、優は抑揚の無い声で、しかし彼女なりの感謝をこめてそう言った。
 時刻はまだ午後2時だったが、今朝からの分厚い雨雲。
 そして締め切られているカーテンのせいで全く光を通していない。
 そのせいでアキラは彼女の表情さえ分からなかった。
「……何が?」
 少し声が上擦っていた。いつも来ていた病室が暗さのせいか、息苦しささえ感じた。
「分からない……、かな? 私はアキラと会ってようやく生きてるって実感できたと思えたから」
「何を言ってるか分からないよ…」
 次の診察日に訪れたアキラはダメ元でハルカの病室に向かった。
 そこにあったものはいつもの空の病室ではなく、暗闇に包まれたハルカがいた。
 まるですべてが終わったかのように話すハルカ。
 異様な空間に包まれてアキラは確実に焦りだしていた。
 ハルカはやはり自殺を決意したのだろうか?

「最後にアキラだけには挨拶したかったから……」

「ハルカ……分かるなんていうつもりはないけど……、でもそれは逃げだと思うよ」
「分からないなら言わないで!!」
 今までにない強い口調でアキラに怒鳴りつけた。
 ハルカらしかったのは初めだけでやはりいつもと様子がおかしかった。
「いくらアキラと誓い境遇っていってもアキラ私には決定的な違いがあるわ。それはね、アキラにはまだ未来が残ってることなの!」
 最後は怒鳴りつけてハルカはそこで一度言葉を区切った。
「そんなことは……」
 アキラは反論するかのようにハルカに話し掛けるが無駄だった。
「そんなこと? 十分よ。アキラには可能性が残っている。それがたとえ1%だったとしても十分過ぎる。私には0%しか残されてないんだから」
 怒鳴りつけはしなかったがそこには羨望や嫉妬の念すら入っていた。
「でももういいの。私はもうすぐ行けるの。誰もが平等の世界に、死の世界に。
 きっとそこには……、素晴らしい世界が待ってるの」
 言葉で止めることはできない。
 アキラはそう思い、体勢を前へ傾けた。
 いつでも走り出し、ハルカの凶行を止めるためだ。
「だから………、ばいばい」
 それが合図になった。
 アキラは飛び掛かり、ハルカの両腕を押さえた。
 その衝撃でハルカは壁にぶつかったが、そんなことにはかまっていられなかった。
 案の定、ハルカの右腕には安物のカミソリがあった。
 けれど次の瞬間、強烈な違和感がアキラを襲った。
 ハルカの左手首にべとべとの、しかし所々で固まった液体に触れた。
 それは血だった。
 もうそれはハルカの手首だけでなくベッドのシーツも濡らしていた。
「なっ………」
 無意識に驚きの声が上がる。
 素人目に見てもそれは完全に致死量を超えていた。
 ようやく暗闇に目が慣れ、うっすらとだかハルカの顔を見ることができた。
 それは安らかに寝息を立てて眠っているようにも見えた。
 しかしそれは永遠の眠りであった。
 肌で感じ取れるのは人間にはありえない体温の低さ。
 全てのことからわかることはただ一つ。
 ハルカは既に人ではなくなっていた。
 アキラはもう死後硬直が始まっているハルカだったものをベットに仰向けで寝かせた。
「ハルカ……」
 呼びかけてみたが、当然のように答えはなかった。
 さっきまで話していたものは何だったんだろう。
 あれは確かにハルカだった。
 ついさっきまで確かにハルカはそこにいた。
 体は既に息を引き取っていたのに。
 不思議とアキラはそこに怖さを感じなかった。
 ただハルカへの恋にも似た思いを浮かべていた。
「ごめんね、俺は生きるよ。もうすぐそっちに行くから待っていてほしい」
 それだけ言うとアキラはそっとハルカに口付けをした。
 初めてで最後のキスは血の味がした。



あとがき

  初めまして、今回の作品はちょっと暗かったかな、と反省しています。
 しかしこれでも書き直して明るくしようとしましたけど焼け石に水でした。
 ちなみにこの後主人公は死んでしまうんですよ。
 そこまで書くにはまた暗くなってしますのでやめにしました。
 次の作品は明るめにする努力しますのでよろしくお願いします。




トップページに戻ります