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部誌7号掲載作品


タイトル  追憶

作者名  有田善


 都会は時間の流れが速い。そしてその流れの速さは見慣れた町並みを急激に変化させて行く。大地がむき出しだった川岸はコンクリートで固められ、畑であった土地は整備され、ビルとなった。ここ数十年でこの町は大きく変わったのだ。
 時間の流れの中で変化するのは町並みだけではない。人もまた時間の流れの中で変化していく。夢にあふれる少年は現実を知り、やがて大人になる。その過程で多くの者は少年時代の果てない夢を失い、ただ明日を生きるために今日を生きる大人へと変貌する。中には少年時代の夢を忘れずに実現させる者もいるだろう。しかしそんな幸運に恵まれるものは少数であろう。私もまた、夢を失った者の一人だ。


 私は少年の頃、宇宙飛行士になるのが夢だった。重力と言う鎖から解き放たれ自由に空中を舞うことが出来る世界。それは幼い私の中にある、大きな好奇心を満たすに十分なものであった。しかしそんな私の夢は成長と共に強くなる社会の風に流され、消えた。そして大学に入る頃には大企業に就職することだけが目標となった。まあ、結局はそれすらかなわなかったわけだが……。今はある保険会社の営業マンとして働いている。
 営業マンという職業はなかなかに辛い。割り当てられた範囲内の各家庭を回り自社の商品―私の場合は自社の保険である―を売り込むわけだが,これがなかなか上手くいかない。保険の加入を勧めれば結構ですと断られ、資料だけでもと言えばゴミになりますからと邪険にされる。なかなか上がらない業績に、毎月課せられるノルマ。今日のような真夏日の炎天下でさえサボることは許されない。正直言ってうんざりだ……。


 時間はもう昼過ぎだ。暑さのせいで食欲もわかない。頭もボーっとする。少し休もう。私はそう思い、真夏の日差しから逃げるように目にとまった喫茶店に入った。

 からん……

 乾いた鐘の音と共にドアが開き、冷たい空気が汗ばんだ私の肌を撫でる様に外へと逃げて行く。それは心地良い感覚だったが、あまり開け放しておくのも店の主人に悪いため、私はすばやくドアを閉めた。
 ドアを閉めた後、軽く店内を見渡してみる。あまり広くない店内には女主人一人と、私のように暑さを避けてきた者がポツリポツリといるだけだった。初めてきたわりには何となく見覚えのある風景だ。
 いらっしゃい
 女主人の歓迎の声に誘われて、私は窓際の空いている席へと腰をおろし、アイスコーヒーを注文した。朝から歩きっぱなしの足が中年男の重量から開放され、安堵のため息をついた気がした。
 アイスコーヒーを注文したものの、何となく手持ち無沙汰になりメニューを手にとって眺めてみる。なるほど。見覚えのあるはずだ。私は暑さを避けてきたというのに、つい注文をホットコーヒーに取り替えてしまった。
 何の事は無い。ここは私が学生の頃、付き合い出したばかりの妻と大学帰りによく通った店ではないか。メニューに載っていた店の名前を見て初めて気が付いた。
 学生の頃、よく通った道も数十年という時間には勝てなかったようだ。その風景は大きく変貌していた。その変貌した道を暑さで朦朧とする中歩いてきて、店の名前も見ずに入ってきたのだから気づくわけもない。
 この暑い中、私がアイスコーヒーをホットコーヒーにした理由。それはただ懐かしかったからだ。あの頃の私はホットコーヒーを飲むのがかっこいい男というイメージを持っていた。あいつの前ではいつもホットコーヒーを飲んでいたもんだ。まあ、今にして思えば滑稽な妄想である。
 そんな学生の頃のことを思い出しているうちに店の女主人がコーヒーを運んできた。あの頃の店の主人も女性であったが、この女性とは別人である。私は何となく気になってそのことを女主人に聞いてみた。どうやら今の女主人は以前の女主人の娘のようである。これも時間の流れ、変化の現れの一つだろう。私はそんなことを思いながらコーヒーに口をつける。懐かしい味だ。主人が変わっても変わらない味。母か娘へ受け継がれた味。どれだけ周囲の町並みが変わっても、ここのコーヒーの味だけは変わっていなかった。まだ若かったあの頃と同じ、少しほろ苦い思い出の味がした……。


 汗もひき、足の疲れも少しはましになった。もうしばらくここで思い出に浸っていたかったが、今の私は家庭を持つ身。家族を養はなければならないのだ。いつまでも過去に浸り休んでなんかいられない。私はコーヒーと共に思い出を胸のうちへと飲み干し、席をった。
 コーヒーの勘定を支払い外に出ようとした時、ふと窓の外の風景が目に入り、私ははっとした。一瞬、昔の町並みと、まだ若い自分と妻が歩いている姿が見えたのだ。瞬きをしてもう一度見てみるとそこあるのは何のへんてつも無い現在の町並みだった。当然、若い頃の自分達などいはしなかった。
 街も人も変化しつづける。思い出の場所もいずれは変化してしまう。だが私の胸の中には今も思い出が生きつづけている。そういうことなのだろう。
 不意に妻の笑顔が目に浮かんだ。久しく見ていない、心からの笑顔だ。
 たまにはプレゼントの一つでも買って帰るか。そういえばこの前の結婚記念日に指輪が欲しいとか言っていたっけ。
 私は手に持ったままだった財布に目を落とした。
 ……よし、まんじゅうでも買って帰るとするか。

 からん……
                          終



あとがき

 作品として文章を書くのは何ヶ月ぶりだろう? 以前の作品から一年ちょいぐらいでかなり久しぶりです。この作品は夏合宿中に考えたものなんですが、自分でもあんまり面白いのではないかと思います。山場もオチもないですからねぇ。淡々と進んでる感じですかね。でもねらいはあくまでも「しみじみな感じ」です。中年男性の気持ちになってしみじみとしていただければ幸いかと……。生活に追われる中年男性が若い頃の自分を思い出して感慨にふける。いつか私にもこんな日が来るんでしょうね。




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